2009年3月13日金曜日

when I feel that separation


勝手に思いついた全く正統性の無い瞑想方法を
寂しいとき練習してる

108粒の数珠を右手に、一粒ずつ送るごとに、
友達や仲間や家族や恩人などの笑顔を思い浮かべて
自分も彼らが幸せであるように心の笑顔を送る。
もう数珠一周じゃ追いつかないくらい
どんどん人の笑顔が浮かんでくる。
 
自分がどれだけ回りのお世話になってるか
愛されてるかがわかって 
じーんとして、ハートフルな気持ちになる。

仏教でお世話になったこと、されたこと、したことを
生まれてから今までの間の分 洗い出す作業をする
行法があるけれど、それと似ている。

一人で立ってるっていうのは幻想にすぎなくて、
片方がお世話になりっぱなしでもなく、
あげて、受け取って、という
一方通行の単純な関係でもない

聖者のことばで

わたしが すべてであることを知るとき それは愛である
わたしが なんでもないことを知るとき それは知恵である
そしてその二つの岸の間で 私の人生は揺れる

今読んでるアイ・アム・ザットのニサルガおじさんも

人生の川には岸がある
片側は喜び
もう片側は悲しみ
どっちの岸も岸にすぎない 
ただ流れていくことだ

流れに逆らったり 
留まろうとじたばたすると苦しみが生まれる

と言っていて心に残った。

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