2010年1月15日金曜日

book talk


同じ時期に滞在してるメンバーは
毎日食事のたびに顔を合わせてるので
自然と親しくなっていくことが多い。

お互いにすっぴんで、治療の経過をおしゃべりしたり。
それぞれ調子が悪いときもあれば、元気なときもある。
たまたま今回居合わせた3人は皆イギリス在住。

読み終わった本をお互いに貸し借りしてる。
私は読書ブームがまたやってきていて、
皆がどんな本を読んでるのか興味がある。

The Girl with a Dragon tattooはNYタイムズにも書評がのっていて、
気になってた世界的なベストセラー。
金曜の夜は指圧マッサージを受けてから夜遊びに行くのが儀式!
という、まだ遊びたい盛り・ロンドン在住の建築家である
スチュアートが食事のテーブルに持ってきた。
面白いけど、暴力的な表現が多いらしいので私には却下?

かわりに、ドイツ系イギリス人女性のシオンには
おすすめのナチュラルな女性健康本をたくさん伝授されて興奮!
彼女は南ロンドンの鍼灸師・ドゥーラ(助産師)で
更年期に伴う甲状腺機能の低下が何をやっても改善されず、
ここを紹介されたのだそう。

頭痛と耳鳴りにこの2年ほど悩まされているサムからは 
アフルエンザという一冊をすすめられた。

アフルエンザ=インフルエンザ(感染症)+アフルエント(富裕)

クレジットカードを使って、実際の収入を上回る消費をしまる人々。
買い物を通じてしか、自分のアイデンティティを表現できず、
そのリッチな生活にかかる費用を払うためにクレジット返済に終われ、
家族とゆっくり過ごしたり、
地域を豊かにするための時間もなくなっている
現代人のライフスタイルを検証してる一冊だそう。
アメリカでは、毎年大学を新しく卒業する人の数より、
自己破産を申請する人の数のほうが多いのだって。

カリフォルニアに住んでるときは、死ぬほどクレジットカード会社からの
勧誘の手紙が届いてたことを思い出す。
加入すると、現金で2000ドルをお届けします、みたいな小切手が入ってて
もちろんそれはたっぷり利子がついて自分が毎月返済していくんだけど、
罪悪感なくお金を借りやすい、使いやすい仕組みができてるのは確か。

大人になって広告宣伝のターゲットになる前に、
宮部みゆきの「火車」を読んで欲しいなぁ。

サムは3人の小さな子供がいて、自らが経営するIT会社で
従業員が12人にも増えてとっても順調にいってる。
ロンドンから一時間ほど南の田舎へ引越ししたばかり。
週の半分くらいロンドンへの通勤に時間はかかるのだけど、
子供が安全な環境でたくさん遊べて、ビーチもすぐだから。
この本を読んで、自分の決断を肯定されるような気がしたのだそう。

おすすめされた本は
”ネットが安定する環境へ行ったら注文する”
フォルダーにいれてみた。

ああ、それにしてもインターネットで帰国したら行きたい
レストランの食ベログをダウンロードしまくってる
なんてことを告白して、笑われたり。
(それも超肉食内臓系・・・)
人とは業の深い生き物であります。

2010年1月11日月曜日

starting anew


大晦日の晩、星がきれいに見える南インドの小さな村。

パンチャカルマの最中は、ありあまる時間の中で、
肉体にこびり付いた固定パターンが浮き上がって顕在化していく。

もちろん心と身体はつながっているから、
ドーシャ排出に付随して、心の奥底からも、
処理し切れてなかったことや 陥りがちな思考のクセ、
潜在意識の奥の部屋に隠してたことなんかが
関連性もなく、連続的に、かなりしつこく 
表面に浮かび上がってくる。

アイディアが浮かぶ、後悔が浮かぶ、人の顔が浮かぶ。
執念や野心や不安や懺悔やら もうドロドロです。

何か思っても、
それは時間的にも距離的にも、今は遠い場所にある
だからどうしようもできないなぁ と思って、
持ってきた蜜蝋のろうそくに火を灯し、座ってみる。
メッタ瞑想の応用編でホ・オポノポノをやってみよう。

まずたっぷり時間をかけて自分から。
ありがとう ごめんなさい ゆるします あいしています

それから、一人ひとり顔を浮かべて、エネルギーをつなげて、
ありがとう ごめんなさい ゆるします あいしています

香、何があっても応援してるからな。とか、
元気で幸せだったら、好きなことやりなさい。
         困ったらいつでも帰っておいでね

を、両親からもらって、涙ぽろぽろぽろ

笑顔がポン、って明るくなる人もいれば、
ぎくしゃくして、ちょっと緊張しちゃう人もいる。
心から受け取ってもらえたか 怪しい人もいる。
でも、本当に伝えたい大切な言葉は、
煮詰めるときっと、この4つ。
みんな、悟りたい限りじゃなくて、
お互い大事にし合いたいだけなのかも。

ありがとう ごめんなさい ゆるします あいしています

大好きな絵描きの彼女に思い送りしてたら、
おめでとう の言葉がひょっこり追加で浮かんできた

おめでとうって、なに~! 

と、笑ってたら、もっと涙が出てきた。

ドアがノックされて、
満月の今夜は月食でもあるから、
その前にご飯を済ませなさいね
と全く欠けたところのないアシュウィン先生が顔を出した。

ちょっとヘソの位置がずれてる私としては、
昔から、新年なんて欲しくて選んだことでもないし、
何がおめでたいのかさっぱりわからない!と思ってたけど、

そんなに悪いものでもないんだろう、きっと。
瞑想を終えると、ほとんど心待ちな気持ちさえした。

2010年1月5日火曜日

India, again


インドに来ました!

アクセスの良い便がとれたので、ムンバイ着直後、
南部マンガロールへと飛行機を乗り換えて向かう。
到着から次の便の出発まで間にあるのは2時間半。
隣接する空港だから、円をルピーに両替して、
荷物を回収しても、そんなに無理はないはず、、、だったのに。

でもここはインド!

税関を出た後、そこで方向を指示していたおじさんに
「国内線への乗り換え、マンガロールへ行くんだけど?」
と尋ねると、左を指差す。
そっちの方向へ行くと、カウンターにひしめく人々。
係員のおじさんを捕まえて、再びたずねると、ここでこのまま待ってなさい、
との指示。もう一人に聞いても同じ答え。

  待ってろって、何を待てばいいの?


外国人の女の子がヨガマットを持って座っているのが目に入ったので、

国内線に乗り換えるのに、ここで待ってろって言われたのだけど?

と話しかけると、

空港間を移動するシャトルバスが来るはずよ、
でも確認したかったら、ネクタイの、あの男性に尋ねてみるといいわ。

とフランス語なまりの英語でニッコリと答えてくれた。

その部屋で唯一ネクタイをしている、
すなわち、最も位が高いであろう男性に尋ねてみる。

すると、私の乗る便に十分間に合う時間内にはもうバスは来ないので、
外へ出てタクシーを捕まえるように指示された。

そんな!ここまで30分くらいも待ってたのに!!

という怒り少々と、手遅れになる前に確認して良かった、
という気持ちの両方で、
荷物の乗ったカートをハイ・スピードで押してダッシュする。

さっき私に右に行け、といったおじさんに
国内線の空港へ移動しなきゃ、と告げると、
今度は当然のように左にある出口をさした。ウキー 

外へ出ると、黒色のフィアットが並んでいる。
より正確に表現すると、道ぎゅうぎゅうに詰まっている。

ムンバイ国際空港のタクシー乗り場は、プりぺイド制で、
窓口で行き先と乗車者名を告げて、
あらかじめ決めた値段を払うようになってるので、ボラれる間違いがない。
でも今の私には、人々がむらがるこの長い列に並ぶのを待つ余裕は無いので困った制度だ。

プリペイドじゃない、タクシーはいない?
と運転手さんの群れに呼びかけると、
きれいにアイロンされたシャツにルンギーを着た、
清潔そうなお爺ちゃんが、どこからか現れた。

警戒しながらも、こちらの事情を話すと、

「どこから来たの?日本! ウェルカム・トゥ・インディア! 大丈夫!」

と皺だらけの笑顔で、窓口まで私を連れて行ってくれる。

「この外国から来た女性の乗る飛行機が、もうすぐ出発してしまう」
「だから、先に通してあげてほしい」
「せっかく、わが偉大な国インドへ来たのだ」

という(多分)スピーチを並んでいる人々にして、
人の群れを掻き分け、チケットをもぎ取ってくれた。

譲ってくれた人たちにお礼を言って、タクシーの列へ戻るけど、
今度は指定されたタクシー番号をつけた車がいないぃ。
大声で番号を繰り返すおじいちゃん、集まってくるドライバーの人たち。

わらわらわら どうした どうした 

この数字は、1じゃなくて、7じゃないのか?
7223なら、ここにいるぞ。

でも、番号が1に見えると、出口で係員に文句言われるから
書き直してもらってくれ。

と言われて、大丈夫!ノープラブラム!
とまた何百メートルか離れた窓口へ走って戻るおじいちゃんの後姿・・・

ゼーゼー息を切らせて戻ってきた彼に、正しいタクシーに乗せてもらい、
100ルピー札一枚と、タイ航空を降りるときもらった蘭の花を
ありがとう、と渡した。

イヤイヤ!と言われたけど、
私一人だったらこれ絶対ムリだったから。
と押し付けて、両手を合わせて、お礼をして、
座席が沈み込んだような年代者のタクシーはブルンンと発車した。

空港の出口、信号で止まると、窓をノックしてくる赤ちゃんを連れた女の子。
手を口に運ぶ仕草、 10 ルピー・・・・という小さな声。

小銭が無かったので、バンコクで買ってきたタマリンドのお菓子を上げた。
嬉しくなさそうな彼女の顔は、子供の顔じゃないほど年をとって空っぽで、
インドに来たことを強く感じた。